現在、与党自民党において、東日本大震災時の災害対応が十分にできなかったことなどを理由として、日本国憲法に「国家緊急権」の新設を含む改正を行うことが議論されている。

国家緊急権とは、戦争や内乱、大災害などの非常事態において、国民の基本的人権などの憲法秩序を一時停止して、権限を国に集中させる制度を言う。この制度ができると国は強大な権限を掌握することができるのに対し、国民は強い人権制約を強いられることになる。災害対応の名目の下に、国家緊急権が創設されることは、非常に危険なことと言わざるを得ない。

そもそも、日本国憲法の重要な原理として、権力分立と基本的人権の保障が定められたのは、国家に権力が集中することによって濫用されることを防ぎ、自由・財産・身体の安全など、国民にとって重要な権利を守るためである。大日本帝国憲法(以下「旧憲法」という)時代には国民の人権が不当に侵害され、戦争につながった経験に鑑みて、日本国憲法はかかる原理を採用している。また、旧憲法には国家緊急権の規定があったが、それが濫用された反省を踏まえて、日本国憲法には国家緊急権の規定はあえて設けていない。

確かに、東日本大震災では行政による初動対応の遅れが指摘された事例が少なくない。しかし、その原因は行政による事前の防災計画策定、避難などの訓練、法制度への理解といった「備え」の不十分さにあるとされている。例えば、震災直後に被災者に食料などの物資が届かなかったこと、医療が十分に行き渡らなかったことなどは、既存の法制度で対応可能だったはずなのに、避難所の運営の仕組みや関係機関相互の連絡調整などについての事前の準備が不足していたことに原因があるのである。東京電力福島第一原子力発電所事故に適切な対処ができなかったのも、いわゆる「安全神話」の下、大規模な事故が発生することをそもそも想定してこなかったという事故対策の怠りによるものである。つまり、災害対策においては「準備していないことはできない」のが大原則であり、これは被災者自身が身にしみて感じているところである。

そもそも、日本の災害法制は既に法律で十分に整備されている。例えば、災害非常事態等の布告・宣言が行われた場合には、内閣の立法権を認め(災害対策基本法109条の2)、内閣総理大臣に権限を集中させるための規定(災害対策基本法108条の3、大規模地震対策特別措置法13条1項等)、非常事態の布告等がない場合でも、防衛大臣が部隊を派遣できる規定(自衛隊法83条)など、災害時の権限集中に関する法制度がある。また、都道府県知事の強制権(災害救助法7〜10条等)、市町村長の強制権(災害対策基本法59、60、63〜65条等)など私人の権利を一定範囲で制限する法制度も存在する。

従って、国家緊急権は、災害対策を理由としてもその必要性を見出すことはできない。

他方で、国家緊急権はひとたび創設されてしまえば、大災害時(またはそれに匹敵する緊急時)だけに発動されるとは限らない。時の政府にとって絶対的な権力を掌握できることは極めて魅力的なことであり、非常事態という口実で濫用されやすいことは過去の歴史や他国の例を見ても明らかである。国民の基本的人権の保障がひとたび後退すると、それを回復させるのが容易でないこともまた歴史が示すとおりである。

よって、当連合会は、東日本大震災において甚大な被害を受けた被災地の弁護士会連合会として、災害対策を理由とする国家緊急権創設は、理由がないことを強く指摘し、さらに国家緊急権そのものが国民に対し回復しがたい重大な人権侵害の危険性が高いことから、国家緊急権創設の憲法改正に強く反対する。

2015年(平成27年)5月16日
東北弁護士会連合会
会長 宮本多可夫