刑事事件の再審制度は、人権擁護のために、誤判により有罪とされたえん罪被害者を救済することを目的とする制度である。裁判は人が行うものである以上、誤りは生じうる。だからこそ、最高裁は、白鳥決定(最高裁1975(昭和50)年5月20日決定)及び財田川決定(最高裁1976(昭和51)年10月12日決定)において、再審請求でも「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が適用されるとして、えん罪被害者の救済に向け積極的な姿勢を示したのである。
白鳥決定あるいは財田川決定以降、ここ東北地方においても、宮城県では松山事件について、誤判により一旦は死刑判決が確定したところ、再審により無罪判決がなされたこと、また青森県でも弘前事件、米谷事件について再審により無罪判決がなされたことが銘記されるべきである。
えん罪被害は、国家による最大の人権侵害の一つであり、えん罪被害者は迅速かつ確実に救済されなければならない。しかし現実には、再審は「開かずの門」と言われるほど、認められることがまれであり、現在の再審制度は、誤判からの救済手段としての意義・役割をほとんど果たせていないと言わざるを得ない。
本年(2024(令和6)年)5月に再審公判が結審し、同年9月に判決が言い渡される予定の袴田事件、また2023(令和5)年2月に即時抗告審で再審開始が維持されたものの、検察官の特別抗告により再審開始がなお争われている日野町事件の再審請求審においても、現行刑事訴訟法における再審に関する定め(再審法)の不備が改めて明らかになった。両事件を含む多くの事件では再審手続が長期化し、えん罪被害者の救済が遅々として進まないことの原因は、各事件固有の事情にあるものではなく、現在の再審制度が抱える制度的・構造的問題にあるというべきである。
すなわち、第一に、証拠開示制度が不備であることである。再審開始決定を得た事件の多くにおいては、再審請求手続の中で初めて開示された検察官の手持ち証拠の中に、再審開始を導く重要な証拠が含まれていた。このような事態は、そもそも有罪判決を言い渡した裁判が、果たして武器の対等という刑事裁判の基本的な原則が守られた公平かつ公正な裁判であったのかに強い疑問を抱かせるものである。その上、現行刑事訴訟法では、再審における証拠開示制度が整備されておらず、裁判所の裁量に委ねられているため、再審開始を導く重要な証拠が再審請求人に開示される保障がない。再審請求手続において十分な証拠開示制度を整備することが急務である。
第二に、検察官による不服申立が許容されていることである。近年、再審開始決定に対する検察官による即時抗告、特別抗告ないし異議申立が行われることが多く、その結果、袴田事件がまさにそうであったように、再審開始が遅延し、えん罪被害者の速やかな救済が阻害される事態が続いている。職権主義的審理構造のもとで、利益再審のみを認め、再審制度の目的をえん罪被害者の救済に純化した現行の再審請求手続においては、検察官は有罪立証をする当事者ではなく、「公益の代表者」として裁判所の審理に協力する立場に過ぎないのであるから、検察官に不服申立権を認める必要はない。
第三に、現行刑事訴訟法に再審請求審の手続規定、とりわけ手続の進行に関する明文の規定がないことである。そのため、審理の進行が各裁判所の裁量に委ねられ、ときに「再審格差」と呼ばれるような訴訟指揮における格差が問題とされてきた。加えて、再審手続において国選弁護制度はなく、適切な弁護を受ける権利の保障という観点からも手続規定の整備は不十分である。
よって、当連合会は、国に対し、えん罪被害者の迅速な救済を実現するため、以下の内容を含む再審手続に関する刑事訴訟法の各規定の適切かつ速やかな改正を求める。
1 再審請求手続における証拠開示の制度化
2 再審開始決定に対する検察官による不服申立の禁止
3 適正手続を保障する再審請求手続規定の整備
2024(令和6)年7月5日
東 北 弁 護 士 会 連 合 会
提 案 理 由
第1 はじめに
えん罪は国家による最大の人権侵害の一つである。
2023(令和5)年3月13日、東京高等裁判所第2刑事部は、袴田事件(1980(昭和55)年11月に強盗殺人罪・放火罪で死刑確定)の第2次再審請求について、2014(平成26)年3月27日に静岡地方裁判所がなした再審開始の決定を維持し、検察官の即時抗告を棄却する決定をした。検察官はこの決定に対する特別抗告を断念し、再審公判が開始され、本年9月に判決が言い渡される予定である。袴田巌氏は、逮捕から約58年、死刑確定から約44年という時を経て、ようやく国家による人権侵害から救済されようとしている。
第2 再審をめぐる歴史
1 白鳥・財田川決定
再審において大きな意義を有するのは白鳥決定(最高裁1975(昭和50)年5月20日決定)及び財田川決定(最高裁1976(昭和51)年10月12日決定)である。
白鳥決定は、「法435条6号にいう『無罪を言い渡すべき明らかな証拠』とは、確定判決における事実認定につき合理的な疑いをいだかせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠をいうものと解すべきであるが、右の明らかな証拠であるかどうかは、もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、はたしてその確定判決においてなされたような事実認定に到達したであろうかどうかという観点から、当の証拠を他の全証拠と総合的に評価して判断すべきであり、この判断に際しても、再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りるという意味において、『疑わしいときは被告人の利益に』という刑事裁判における鉄則が適用されるものと解すべきである。」と判示した。
また、財田川決定は、白鳥決定の上記判示を繰り返した上で、さらに「そして、この原則を具体的に適用するにあたっては、確定判決が認定した犯罪事実の不存在が確実であるとの心証を得ることを必要とするものではなく、確定判決における事実認定の正当性についての疑いが合理的な理由に基づくものであることを必要とし、かつ、これをもつて足りると解すべきであるから、犯罪の証明が十分でないことが明らかになった場合にも右の原則があてはまるのである。」と判示した(いずれも下線部は引用者による。)。
かように、白鳥決定・財田川決定は、再審請求においても「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が適用されるとしたのである。
2 東北地方における再審事件
(1)弘前事件
青森県で発生した弘前事件について、1976(昭和51)年7月13日、仙台高等裁判所は再審の開始を決定した。
被告人とされた那須隆氏は、第1審で無罪判決を得たものの、控訴審で逆転有罪判決を受け、さらに上告棄却され、その後13年服役したのち、再審請求をなし、1977(昭和52)年に無罪判決が言い渡され確定し、雪冤を果たした。同事件は、白鳥決定後にはじめて最高裁で確定した判決について再審開始が認められた事例である。
(2)米谷事件
また、同じく青森県で発生した米谷事件についても、1976(昭和51)年10月30日、仙台高等裁判所は再審の開始を決定した。
被告人とされた米谷四郎氏は、青森地方裁判所における第1審で有罪判決を受け、その後10年服役したのち、再審請求をなし、1978(昭和53)年に無罪判決が言い渡され、雪冤を果たした。
(3)松山事件
そして、東北地方においては、いわゆる死刑4再審事件の1つである、宮城県で発生した松山事件について、被告人とされた斎藤幸夫氏の雪冤が果たされたことが特記されるべきである。
この事件は、1983(昭和58)年、検察官の即時抗告に対し、仙台高等裁判所が再審開始の原決定を維持し、1984(昭和59)年に再審において無罪判決が言い渡されたが、斎藤氏は、1955(昭和30)年末に逮捕され、再審開始決定によって死刑の執行が停止されるまで死の恐怖にさらされ続け、再審無罪判決まで身体拘束され、自由の身となったのは逮捕されてから29年が経過した後であった。
(4)このように、東北地方においても、えん罪により重大な人権侵害を被り、再審において雪冤を果たした人々が複数いることから、我々東北の弁護士も、改めて日本全国のえん罪被害者の救済のために、再審制度が十分に機能しなければならないとの思いを強くするものである。
3 近時の再審開始決定
近時、多くの再審開始決定がなされ、多くの被告人が雪冤を果たしている。
足利事件、布川事件、東京電力女性社員殺害事件、東住吉事件、松橋事件、湖東事件について再審開始決定がなされ、再審において無罪判決が言い渡され、確定している。
また、日野町事件については、大阪高等裁判所が再審開始を認めたものの、検察官が特別抗告しており未確定の状態にある。
冒頭に述べたように、袴田事件については、再審開始が確定し再審公判が開始されている。同事件の差戻し後の高裁決定では、再審請求手続の中で開示され提出された新証拠と、確定審で取り調べられた旧証拠とを総合評価し、白鳥決定及び財田川決定に沿う適切な判断手法をとったものであった。
第3 再審制度の問題点とその改正の必要性
1 明らかになった再審制度の問題点
しかし、袴田事件や日野町事件の再審請求審における審理を巡って、本来無辜の救済を目的とするはずの現行刑事訴訟法における再審に関する規定(再審法)の問題点が、改めて明らかになった。
すなわち、いずれの事件においても、即時抗告棄却決定まで長期間が要されており、また適正な証拠開示がなされず、検察官による不服申立がされているという点である。
2 審理の長期化
袴田事件の被告人とされた袴田巌氏は、2014(平成26)年3月27日静岡地方裁判所が再審開始とともに死刑及び拘置の執行停止を決定したことにより釈放されたものの、1980(昭和55)年11月19日に上告審で上告が棄却されて以来、40年以上にわたり死刑囚として生きることを強いられてきた。その苦痛は計り知れない。
このことについて、再審請求審の審理のあり方に関する規定がなく、各裁判所の裁量に委ねられていることが原因の一つといわなくてはならない。
すなわち、現行刑事訴訟法上、再審手続に関する規定は19箇条しか存在せず、再審手続の運用は個々の裁判体の裁量に大きく左右される。そのため、手続の運用が統一的になされておらず、再審請求人にとって「適正手続の保障」(憲法31条)がされているとは言えない状況にある。
ことに、現状においては、再審公判の前段階である再審請求審の手続が肥大化しており、再審請求審の手続に極めて長い年月を要している。このことは、再審請求人の「迅速な裁判を受ける権利」(憲法37条1項)をないがしろにしているものである。
かように、現行再審法は、憲法の要請をないがしろにしているともいうべきものなのである。
3 証拠開示規定の不存在
現行再審法においては、証拠開示に関する規定が存在しない。
松山事件においては、仙台地方裁判所古川支部の再審請求棄却決定について、仙台高等裁判所が差戻し決定をなした後に、多くの裁判不提出記録の証拠開示がなされ、いわゆる「平塚鑑定書」の存在などが明らかになったことが再審開始決定に結びついたものである。
袴田事件においても、第2次再審請求審において合計約600点もの裁判不提出記録が証拠開示され、その中に存在したボタンのタグの「B」という文字が、検察官が主張していた「サイズ」ではなく「色」を示す旨の製造業者の供述調書、いわゆる「5点の衣類」のネガフィルムなどが取り調べられた結果、再審開始が決定した。
かように、両事件とも、再審請求手続の中で、検察官の手持ち証拠が多数開示され、その中に再審開始を導く重要な証拠が含まれていたのである。適切な証拠開示がなされていれば、より早期の再審開始決定がなされたものと考えられる。
しかし、現在の刑事訴訟法では再審における証拠開示制度が整備されておらず、証拠開示が裁判所の裁量に委ねられているため、再審開始を導く重要な証拠が再審請求人に開示される保障はない。両事件において証拠開示が行われなければ、果たして再審開始決定がなされたのか疑問なしとしないが、これでは無辜の救済という再審制度の趣旨を実現できないこととなってしまう。
4 検察官による不服申立の許容
現行再審法においては、検察官による不服申立が認められている。これがえん罪被害者の迅速な救済を阻害するという問題は、かねてより指摘されてきた。そして、近年は布川事件、松橋事件、大崎事件、湖東事件及び日野町事件において、再審開始を認める即時抗告審決定について、検察官が最高裁判所に特別抗告をしている。その結果、特別抗告審の判断がなされるまで再審開始決定がなされないという事態が起き、迅速な救済が阻害されている(なお、大崎事件については特別抗告審において再審請求を棄却するという決定がされている)。
袴田事件においても、2014(平成26)年3月27日の静岡地方裁判所の再審開始決定について検察官が特別抗告しており、この抗告がなければ再審開始決定の確定が2023(令和5)年3月13日までずれ込むことはなかったのである。
憲法39条は「何人も・・・既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。」と「二重の危険」禁止原則を定める。最高裁判所は、「二重の危険」とは、同一の事件については訴訟手続の開始から終末に至るまでの一連の継続状態をいうものであるとし、検察官上訴制度が同条に違反するものではないとする(最高裁大法廷1950(昭和25)年9月27日判決・刑集4巻9号1805頁)。
しかし、現行刑事訴訟法は、再審制度を無辜の救済制度に純化させ、不利益再審を認めていない。かつ、「疑わしいときは被告人の利益に」の原則からは、いったん裁判所による無実を示す判断がなされた以上は、当該事件はすでに「疑わしい」ものとされたものというべきである。職権主義的審理構造のもと、再審手続において検察官は「公益の代表者」として裁判所が行う審理に協力する立場に過ぎないことに鑑みれば、検察官に、再審開始決定に対する不服申立権を認める必要はないというべきであって、法改正により直ちに禁止されるべきである。検察官が有罪であると主張するならば、それは再審公判で有罪立証を尽くせば済むことなのである。現に、再審公判が結審した袴田事件について、検察官は有罪立証を尽くし、死刑を求刑したところである。
5 審理手続に関する規定の整備等の必要性
以上述べたように、現行の再審手続にはその条文の少なさもあって、十分な手続的保障が定められているとは言えない。ゆえに、裁判所の裁量に委ねられる点が多く、審理が長期化することに加え、三者協議や事実取調べを全く行わないなど、十分な手続的保障がされているとは言えない事例も散見される。
また、大崎事件や日野町事件、飯塚事件等においては、通常審に関与した裁判官や過去の再審請求審に関与した裁判官が、当該事件の新たな再審請求審に関与していたことも明らかになっている。これは、裁判所の判断の公正さ・適正さを疑わしめるものである。
加えて、再審手続においては国選弁護制度がなく、資力がなく支援も得られないものは、弁護人を付けることができず、再審請求自体を断念せざるを得ないが、これが正義に適うものとは思われない。日弁連は、2024(令和6)年、再審を担う弁護人を援助する制度を発足させたが、本来は弁護人の選任を含め、国が適切な弁護を受ける権利を保障しなければならないものである。
再審請求審における手続保障を図り、裁判所の公正な判断を担保するために、上記を含む手続規定等を速やかに整備する必要がある。
第4 結語
再審制度がえん罪被害者を救済する「最終手段」であることは論を待たない。その制度保証を確固なものとし、えん罪被害者の迅速な救済を可能にするため、当連合会は、国に対し、①再審請求手続における証拠開示の制度化、②再審開始決定に対する検察官による不服申立の禁止、③再審請求手続規定の整備を含む、再審手続に関する刑事訴訟法の各規定の適切かつ速やかな改正を求めるものである。
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