我が国は、1996年(平成8年)に「らい予防法」が廃止されるまでの89年もの長きにわたって、ハンセン病患者及びハンセン病病歴者(その意義は提案理由第1項参照)の隔離政策を継続し、ハンセン病に対する社会の差別や偏見を形成・維持し、強固にし続けてきた。ハンセン病は悪条件が重ならない限り発病の可能性自体が乏しく、1940年代から始まった特効薬プロミンによる治療とその後の治療法の改良により、仮に感染しても確実に治療できる病となったにもかかわらずである。

 そして、ハンセン病病歴者やその家族は、病から回復した後においてもいわれなき差別や偏見により筆舌に尽くしがたい苦難を受けてきたのであり、今なおその被差別状況が完全には取り除かれていないというのが、残念ながら厳然たる事実である。

 ハンセン病病歴者やその家族に対する差別や偏見は絶対に許されず、克服されなければならないし、二度と同じような悲劇を繰り返してはならない。

 そのためには、現に存在したハンセン病問題の歴史を記録化し、保存し、将来に向かって活用する必要がある。感染症の種類は違えど、新型コロナウイルス感染症を過度に恐れるが余り全国で差別や偏見が横行したように、ハンセン病問題に対する反省は、現在そして未来の我々のあり方へとつながる問題である。

 しかしながら、歴史の語り部であるハンセン病病歴者は皆高齢となっており、そのライフストーリーを新たに記録化するために残された時間は少ない。また、現存するハンセン病問題に関連する資料等の保存に関しては様々な問題が手つかずのままである。さらに、人権教育に向けた資料等の活用方法については、定まった方針さえ決まっていない。

 そこで、当連合会は、過去にハンセン病病歴者やその家族の深刻な被害を見過ごしてきた責任を自覚しつつ、国に対し、下記の各事項を求める。


   記

1 ハンセン病病歴者やその家族の意向を最大限尊重できるよう、全国ハンセン病療養所入所者協議会や国立ハンセン病療養所所在地の地方公共団体等の関係者らとの迅速かつ緊密な協議を行ったうえで、ハンセン病問題に関連する歴史を適切に記録化し、保存し、及び活用するために必要となる法整備や予算措置を速やかに講じること

2 ハンセン病病歴者やその家族の「語り」が、ハンセン病問題を国民に「自分事」と認識させ、他の人権問題に対する教訓としても大きな意義を有するという観点から、「語り」の記録化のために、ハンセン病病歴者やその家族に対する支援措置を講じること

3 ハンセン病問題に関連する資料等の保存にあたっては学芸員等を活用し、学芸員等が適切に資料を整理・保存できるよう、人員の補充や国立ハンセン病療養所の職員との連携など必要な措置を積極的かつ迅速に講じること

4 ハンセン病問題とそれ以外の分野における差別や偏見の問題との共通性を明確に認識したうえで、国民がハンセン病問題から適切な教訓を得られるよう、ハンセン病問題に関連する資料等の積極的な活用方法を検討すること


以上のとおり決議する。


                         2024年(令和6年)7月5日    

                               東 北 弁 護 士 会 連 合 会




提 案 理 由



1 ハンセン病問題

 ハンセン病はらい菌によって引き起こされる慢性の細菌感染症であり、主に末梢神経と皮膚が侵される疾患であるが、らい菌の毒力は極めて弱く、ほとんどの人に対して病原性を持たない。また、人の体内にらい菌が侵入し感染しても、悪条件が重ならない限りハンセン病を発症することは極めてまれである。

 ところが、我が国では、1907年(明治40年)の「癩予防ニ関スル件」の制定に始まり、1996年(平成8年)にらい予防法が廃止されるまで、実に89年もの長きに渡って、ハンセン病患者及びハンセン病病歴者(その意義は後述)の隔離政策を是認する法が存在し続けた。特に、1930年(昭和5年)に内務省が癩根絶策として隔離政策を発表したことを皮切りに、1931年(昭和6年)には「癩予防ニ関スル件」が「癩予防法」に改められて「放浪患者」のみならず在宅患者も収容対象とされるなど、患者の意に反する国立療養所への隔離政策が強力に推し進められた。また、同時期に、官民一体となってハンセン病患者を摘発して療養所に送り込もうとする「無らい県運動」も盛んとなった。

 そして、国の隔離政策は、戦後になって日本国憲法が施行され、国民が基本的人権の尊重を明確に意識するようになり、また特効薬であるプロミンが開発されてハンセン病の治療法が飛躍的に向上しても抜本的な見直しには至らず、1953年(昭和28年)に「癩予防法」が「らい予防法」に改められた際も、多剤併用療法によりわずか数日間の服薬で菌が感染力を喪失するようになっても、隔離政策は継続されたままだった。

 国によるこのような長きに渡る隔離政策は、ハンセン病に対する社会の差別や偏見を形成・維持し、強固にし続けてきた。

 なお、現在、ほぼすべての国立療養所入所者のハンセン病は治癒、すなわち、らい菌は消失しているのであって、入所者の残存症状は後遺症に過ぎない。そのため、本決議では、引用部分を除き、過去のハンセン病罹患経験者を「ハンセン病病歴者」と呼称する。


2 ハンセン病問題関連訴訟の提起

 1996年(平成8年)に「らい予防法の廃止に関する法律」が制定され、「らい予防法」および同法が求める隔離政策は廃止されたものの、国の責任については曖昧なままであった。他方で、1995年(平成7年)9月、九州弁護士会連合会が国立療養所入所者から「らい予防法」を放置してきた法曹の責任を問う一通の手紙を受けとった。これを発端として弁護団が組織され、1998年(平成10年)に国立療養所入所者13名が原告となり(後に原告は退所者を含めて127名まで拡大)、熊本地方裁判所へハンセン病違憲国家賠償訴訟を提起し、翌年には東京地方裁判所や岡山地方裁判所においても同様の訴訟が提起された。そして、2001年(平成13年)5月11日、熊本地方裁判所は、日本のハンセン病隔離政策によって、遅くとも1960年(昭和35年)には全てのハンセン病病歴者との関係で憲法違反の人権侵害があったことを認め、さらに1965年(昭和40年)までにらい予防法を廃止しなかった国会の立法不作為を違法と断罪するなどし、原告勝訴の判決を言い渡した(以下「国賠訴訟判決」(※1) という。)。その後、国は、2001年(平成13年)5月25日、内閣総理大臣談話を発表して隔離政策の誤りを認めて謝罪するととともに、「各地の訴訟への参加・不参加を問わず、全国の患者・元患者の方々全員を対象」として、被害回復のための特別立法の制定、当事者との協議の開始のほか、「名誉回復及び福祉増進のために可能な限りの措置を講ずる。具体的には、患者・元患者から要望のある退所者給与金(年金)の創設、ハンセン病資料館の充実、名誉回復のための啓発事業などの施策の実現について早急に検討を進める。」ことを表明し、控訴せず同判決は確定した。また、衆参両院もそれぞれ謝罪決議を行った。

 ハンセン病問題により人権侵害を受けたのはハンセン病病歴者のみではない。長きに渡る国の隔離政策により、その家族もまた家族関係を破壊され、社会生活上のあらゆる場面で深刻な差別や偏見により人生そのものに重大な被害を受け、人格と尊厳が冒されてきた。そして、2016年(平成28年)にハンセン病病歴者の家族ら568名が国を被告として提起していたハンセン病家族国家賠償訴訟に関し、2019年(令和元年)6月28日、熊本地方裁判所は、国による「らい予防法」に基づくハンセン病隔離政策により、ハンセン病病歴者の家族らも、憲法第13条が保障する社会内で平穏に生活する権利(人格権)などが侵害されたとして、国家賠償法上の違法性を認める判決を下した(以下「家族訴訟判決」(※2) という。)。この判決は、ハンセン病病歴者の家族らについても隔離政策の被害者であることを正面から認め、家族らが受けた差別や偏見による人権侵害の責任を国が負うことを明らかにしたものである。そして、国は、2019年(令和元年)7月12日、内閣総理大臣談話を発表してハンセン病病歴者のみならずその家族にも謝罪するととともに、「関係省庁が連携・協力し、患者・元患者やその家族がおかれていた境遇を踏まえた人権啓発、人権教育などの普及啓発活動の強化に取り組みます。」と表明し、控訴せず同判決は確定した。


3 ハンセン病問題関連訴訟を受けての歴史継承への取組み

 国賠訴訟判決後の内閣総理大臣談話にもとづき、厚生労働省とハンセン病違憲国家賠償訴訟全国原告団協議会、同全国弁護団連絡会及び全国ハンセン病療養所入所者協議会(以下「全療協」という。)(以下、これらの3団体を総称して「統一交渉団」という。)との間で、2001年(平成13年)6月29日に第1回ハンセン病問題対策協議会(以下「協議会」という。)が開催された。その後も継続して、統一交渉団が協議会の開催に合わせて事前に統一要求書を厚生労働省に提出し、協議会で多岐にわたるハンセン病問題の最終解決を目指した話合いが行われており、その中では歴史的建造物等の保存についても協議事項とされてきた。

 また、2002年(平成14年)、国は、「ハンセン病患者に対する隔離政策が長期間にわたって続けられた原因、それによる人権侵害の実態について、医学的背景、社会的背景、ハンセン病療養所における処置、『らい予防法』などの法令等、多方面から科学的、歴史的に検証を行い、再発防止のための提言を行うこと」を目的とする検証会議(以下「ハンセン病問題検証会議」という。)を設置した。この検証会議は、全国13か所の国立療養所だけでなく、韓国の小鹿島更正園や台湾楽生院などの入所者からの被害の聞き取り調査を含めたハンセン病事実検証調査事業を実施し、2005年(平成17年)3月に最終報告書をまとめた(以下「検証会議報告書」(※3) という。)。この検証会議報告書においては、再発防止のための様々な提言をする中で(納骨堂に安置されている遺骨の安置場所確保も提言されている。)、国立療養所等に残る歴史資料や歴史的建造物等の保存・公開に関して下記のように述べている(原文ママ)。

 ハンセン病患者・家族・回復者への差別と偏見は誤った国策によるものであるが、単に国だけの責任に帰することはできない。実際の隔離の実務を担当したのは、自治体であり、患者を地域から排除したのは国民であった。今後、このような人権侵害の再発を防止するためには、国の責任とともに、自治体の責任、国民の責任についても究明していかなければならない。そうした際、厚生労働省をはじめとする国の機関、自治体、ハンセン病療養所、ハンセン療養所入所者自治会などに所蔵されている資料の活用は不可欠となる。国レベルから地域レベルまでを視野に入れた隔離政策の真相究明を進め、その成果を再発防止のための社会啓発に反映していくことが望まれる。 
 誤った強制隔離政策を象徴するような施設等について歴史的保存を図り、公開に努めること等も再発防止という観点から見て重要な課題のひとついえよう。

 その後、高松宮記念ハンセン病資料館は2007年(平成19年)のリニューアルを経て、国立ハンセン病資料館に改称され、各国立療養所にも社会交流会館が順次設置された。

 さらに、国は、入所者の生活環境が地域社会から孤立することなく、安心して豊かな生活を営むことができるように配慮するといった基本理念の下、2009年(平成21年)に「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」(以下「ハンセン病問題基本法」という。)を施行した。ハンセン病問題基本法第18条は、「国は、ハンセン病の患者であった者等及びその家族の名誉の回復を図るため、国立のハンセン病資料館の設置、歴史的建造物の保存等ハンセン病及びハンセン病対策の歴史に関する正しい知識の普及啓発その他必要な措置を講ずる(以下略)」と定めている。

 また、国は、家族訴訟判決後の内閣総理大臣談話を受けて、厚生労働副大臣を座長とし、法務省及び文部科学省の大臣政務官が出席する「ハンセン病に係る偏見差別の解消に向けた協議の場」を設置するとともに、ハンセン病に対する偏見差別の現状とこれをもたらした要因の解明、国のこれまでの啓発活動の特徴と問題点の分析、偏見差別の解消のために必要な広報活動や人権教育、差別事案への対処の在り方についての提言を行うなど、今後のハンセン病に対する偏見差別の解消に資することを目的として2021年(令和3年)に「ハンセン病に係る偏見差別の解消のための施策検討会」を設置し、2023年(令和5年)3月にその報告書がとりまとめられた(以下「施策検討会報告書」(※4) という。)。この施策検討会報告書は、ハンセン病に係る偏見差別は国の誤った隔離政策によって作出助長されたものであり、その責任に基づき、国全体で偏見差別の解消に取り組む必要があるという基本認識を明示的に共有すべきことを述べた上で各種提言を行っており、その中では、当事者の「語り」(ハンセン病病歴者やその家族から語られたライフストーリー)の記録化、記録の保存、及び記録の活用などの重要性についても提言しているほか、ハンセン病問題検証会議が調査した厚生労働省、国立公文書館、都道府県、国立ハンセン病療養所の保存資料等の活用も検討されるべきであるとしている。

 もっとも、ハンセン病病歴者やその家族に対する差別や偏見は、未だ完全には取り除かれていないというのが、残念ながら厳然たる事実である(※5,6) 。

 そのため、国は、施策検討会報告書の提言を、強力に推し進めていかなければならない。


4 歴史の記録化とその支援

 ハンセン病問題の歴史は様々なものに刻まれているが、ハンセン病病歴者やその家族の「語り」には、想像を絶する過酷な人生とそのような中でも希望を捨てずに生きた抵抗の歴史が、迫真性と時間的連続性をもって表現されるという特徴がある。そのため、当事者の「語り」は、当事者の名誉の回復等につながると同時に、他の断片的な資料等に比べ、それに接した者にハンセン病問題を「他人事」ではなく「自分事」だと体感させやすくする(※7) という点でこの上ない貴重な資料である。当事者の人生は、一つとして同じものはなく、それぞれのライフストーリーから得られる追体験が、差別や偏見を根絶する力となる。

 一方で、過去の過酷な体験を語ることは容易なことではなく、「語り」は同時に当事者に大きな負担をもたらす。当事者は、過去を語ることによって新たな差別や偏見に遭うことがないか、家族や親族に迷惑がかかるのではないか、プライバシーは本当に守られるのかといった葛藤に悩むのであるから、「語り」を得るためには、そういった語り部の不安を軽減するような心理的サポートや、語り部が過去を語りやすくするための状況整備等の様々な支援が欠かせない。ところが、現状そのような支援は十分なされていない。

 また、「語り」の主体であるハンセン病病歴者は次々と亡くなってしまっており、存命の入所者も皆高齢化しているほか(2023年(令和5年)5月1日現在、入所者の平均年齢は87.9歳である。)、その家族の多くもまた高齢化しているのであって、新たな「語り」を記録化するために残された時間は少ない。前述した当事者の葛藤を踏まえれば、過去を語るまでには聞き手との信頼関係の構築を含め相当程度の時間がかかると考えられるのであって、なおのこと時間は限られている。

 早急に、「語り」の記録化のための支援策が講じられなければ、手遅れとなる。


5 資料等の保存とその支援

 各国立療養所の中には、カルテや事務記録、無らい県運動等に関する文書などの様々な公文書が収蔵されている。これらの公文書には、開園当時からの貴重な歴史資料が含まれている。また、入所者個人が作成した日記や詩、不自由な身体を補うために使用してきた愛用品、入所者自治会が作成した自治会活動記録といった、自らの意に沿わない隔離を強いられた患者が、苦しみながらもそこで生きた証ともいえる資料が、多数残っているものと推察され、これらもまた当事者の名誉の回復等につながるものである。

 しかし、現段階では未だ整理が不十分な国立療養所も多く、そもそもどのような資料が存在するのか、どの程度の分量の資料が存在するのか、その全容は不明であって、このままでは、時の経過とともに貴重な資料が散逸してしまいかねない。

 また、これらの資料が貴重な歴史資料である以上、その整理や保存にあたっては専門的知見を有する学芸員(博物館法第4条第3項)等の関与が不可欠である。ところが、各国立療養所の社会交流会館等で執務する学芸員は1名程度しか配置されていないのであって、これでは貴重な歴史資料の整理と保存には甚だ心もとないといわざるをえない。現に、各国立療養所からは学芸員不足の声が上がっている。加えて、各国立療養所の社会交流会館等で執務している学芸員は同所の職員ではなく、厚生労働大臣から運営業務の受託を受けた団体から派遣されているに過ぎず、しかもその身分は、自身を雇用する団体が厚生労働省から1年単位で運営業務を受託していることを前提とするものであり、このような不安定な身分では、長期的視野をもった歴史資料の整理と未来への継承に十分な役割を果たすことは困難である。さらに、貴重な資料の保存という目標に向かって各国立療養所と学芸員が連携できている場合であればよいが、そうでなくなった場合には、公文書である各国立療養所の資料に学芸員が容易には手を出すことができない状況にもなりかねない。

 加えて、公文書の管理については、2011年(平成23年)に施行された公文書等の管理に関する法律が存在し、同法第5条第5項、第8条第1項では、保存期間が満了した行政文書について、歴史公文書等に該当するものにあっては国立公文書館等への移管をすることとされているものの、それ以外の文書については廃棄の措置をとるものとされている。この規定をそのまま適用すれば、国立療養所に現存する公文書は、国立公文書館等へ移管するか、さもなくば廃棄されかねないという、実に不安定な地位にあるといえる。

 さらに、ハンセン病問題基本法第18条は、「ハンセン病及びハンセン病対策の歴史に関する正しい知識の普及啓発その他必要な措置を講ずる」と定めるものの、それに不可欠となる資料を保存するのに適した温度管理・湿度管理・防虫管理といった各機能を備えた保管庫の設置計画も聞こえてこない。

 このような状況は、「歴史的建造物保存等検討会」が立ち上げられ、「各療養所で、入所者自治会とともに、保存方法も踏まえた保存対象のリスト(案)を作成」した後、ワーキンググループで議論して検討会で保存対象を決定するといった方針が示された建造物に比べ、立ち遅れているといわざるをえない。

 このままでは、時の経過により貴重な資料は散逸してしまう。


6 資料等の積極的活用

 1953年(昭和28年)、熊本の小学校で「龍田寮児童共学拒否問題」が起きた。これは、国立療養所である菊池恵楓園に入所している親を持ち、龍田寮から黒髪小学校に通うことになっていた未就学児童について、一般の親たちが、「万一、自分の子どもが病気になったらどうしてくれるのか」と主張し、龍田寮から登校しようとした新1年生の登校妨害を公然と行ったうえで、校門には「らいびゃうのこどもと一しょにべんきゃうをせぬやうに、しばらくがくかうをやすみませう」との大きな張り紙をして自分たちの子どもを同盟休校させるなどした事件(※8)である 。

 この事件は、新型コロナウイルス感染症の拡大に伴って医療従事者の家族らが「潜在的感染者」扱いされて、保育所や学校への通園・通学を拒否されたといったいわゆるコロナ禍差別と類似する現象である。

 また、2003年(平成15年)、熊本のホテルで「アイスターホテル宿泊拒否事件」が起きた。これは、国賠訴訟判決後に菊池恵楓園の入所者がアイスターホテルへの宿泊を拒否されたことに始まり、園がホテル側の形式的な謝罪の受入れを拒否したところ、菊池恵楓園に抗議の電話や手紙が殺到したという事件である。この事件に関し、検証会議報告書は、「回復者たちが同情されるべき存在として控えめに暮らす限りにおいては、この社会は同情し、理解を示す。しかし、強いられている忍従に対して立ち上がろうとすると、社会はそれに理解を示さない。」と論評していた(※9) 。

 この事件は、これまで声を上げられなかった障がい者や性的少数者が自身の権利を主張した途端に、インターネットやSNS上で誹謗中傷が繰り広げられるといった昨今の人権侵害と類似する現象である。

 施策検討会報告書は、「人権教育啓発に関する施策・事業はハンセン病問題に関する知識を習得させることに偏っているため、国は、人々の行動変容ないし意識変容に結び付く、実効性の高い施策・事業に進化させるべき」と提言するとともに、偏見差別の解消に向けて必要とされる課題として、「ハンセン病問題以外の分野における偏見差別の問題との共通性を明確に認識した上での、その解消を図るための共通課題の明確化」を挙げている。

 ハンセン病問題は決して過去の問題ではなく、その問題から現在も起こる様々な人権問題への教訓を得ることができるのであるから、ハンセン病問題に関連する資料等の積極的活用が強く望まれる。


7 歴史の記録化、保存及び活用のあり方:当事者の意思の尊重

 ハンセン病問題に関連する資料等が国民にとって貴重であることは論を俟たないが、それらがハンセン病病歴者やその家族が受けた苦難の歴史そのものであることからすれば、その歴史の記録化、保存及び活用の具体的なあり方について最優先されるべきは当事者の意向というべきである。このことは、「国は、ハンセン病問題に関する施策の策定及び実施に当たっては、ハンセン病の患者であった者等、その家族その他の関係者との協議の場を設ける等これらの者の意見を反映させるために必要な措置を講ずるものとする。」旨定めているハンセン病問題基本法第6条にも表れている。

 ところで、全療協は、各支部の入所者自治会の見解を踏まえ、2022年(令和4年)、各園が所蔵する公文書類の保管について下記の決定をした。

 全国のハンセン病療養所にはそれぞれに違った歴史があり、所蔵する各資料も画一的ではない。したがって各園の公文書類は施設の永続化と密接に結びついている。これらの資料から隔離の歴史のなかで、たくましく生きた入所者の生活ぶり等、訪れる人に正しく伝え、学ぶための拠点となる社会交流会館(歴史館)にとって重要な資料となり得る。単に文書保管の問題に留まらない重要な資料であり、大切に保管しなければならない。なお、各園で保管することが本来のあり方であり、資料館建設の際に提供した文書類についても、各支部に返還の要求があれば全療協の要求に加える。支部と本部は問題意識を共有することとする。また、各園で保管する場合の法整備や保管に当たっての湿度、温度、防虫対策等必要な設備について予算要求を行う。


 このような全療協の決定は、当事者の意向として、重く受け止めなければならない。

 そして、全療協が指摘するように、各地の実情をふまえて具体的にどのように資料保存等を行うかを検討するにあたっては、まずもって全療協や国立ハンセン病療養所所在地の地方公共団体等の関係者らとの迅速かつ緊密な協議を行う必要がある(なお、ハンセン病問題基本法第5条で地方公共団体には協力義務が課されている。)。

 また、国が長きに渡って隔離政策を漫然と継続したという責任を重視すれば、未来へ向けての教訓として、ハンセン病問題の負の歴史を記録化し、保存し、及び活用するための費用を国が負担すべきは当然であるが、「カネを出すからクチも出す」では、誤った政策を継続した国の責任が曖昧にされる危険性を払拭できない。

 ハンセン病問題の歴史を記録化し、保存し、及び活用するための具体的なあり方については、当事者をはじめとする関係者の意向を最大限に尊重した上で定め、国が費用面をバックアップするというあり方が望ましい。


8 結語

 国は、自らの責任において、ハンセン病隔離政策と同じ過ちを繰り返さないため、速やかにハンセン病病歴者やその家族から貴重な「語り」を得るための支援をするとともに、現存する資料等を適切に保存し、人権教育のために活用して、ハンセン病病歴者やその家族の名誉の回復を図らなければならない。

 他方で、ハンセン病病歴者やその家族は、国の誤った政策により、その人生を翻弄され、決して回復することができない苦難を背負うことになってしまった以上、その当事者の意向は、最大限尊重されるべきである。

 基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする我々弁護士は、ハンセン病病歴者やその家族の深刻な被害を見過ごしてきた責任を改めて自覚しつつ、二度と同じ過ちを繰り返さないことを決意した。

 よって、当連合会は、主文のとおり決議する。

以上

※1 熊本地判平成13年5月11日判時1748号30頁

※2 熊本地判令和元年6月28日判時2349号4頁

※3  「ハンセン病問題に関する検証会議最終報告書(要約版)」(財団法人日弁連法務研究財団 ハンセン病問題に関する検証会議)

※4 「ハンセン病に係る偏見差別のための施策検討会報告書」(株式会社三菱総合研究所 ハンセン病に係る偏見差別の解消のための施策検討会)

※5 毎日新聞2016年(平成28年)3月27日1面

※6 「ハンセン病問題に係る全国的な意識調査報告書」(株式会社三菱総合研究所 ハンセン病問題に係る全国的な意識調査報告書)

※7 前掲「ハンセン病に係る偏見差別のための施策検討会報告書」114頁

※8 前掲「ハンセン病問題に関する検証会議最終報告書(要約版)」64頁

※9 前掲「ハンセン病問題に関する検証会議最終報告書(要約版)」92頁