本年7月1日、安倍晋三内閣は従来の憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を行った。
集団的自衛権とは、政府解釈によると「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」とされる。
しかしながら、日本国憲法は前文で平和的生存権を確認し、第9条で戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認を定めるなど、徹底した恒久平和主義を採用している。このような憲法の下では、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、外国に対する武力攻撃を実力をもって阻止すること(集団的自衛権の行使)は許されない。
政府も、従来は集団的自衛権の行使は許されないと解してきた。すなわち、政府は、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、①我が国に対する急迫不正の侵害(武力攻撃)が存在すること、②この攻撃を排除するため、他の適当な手段がないこと、③自衛権行使の方法が必要最小限の実力行使にとどまること、の三要件に該当する場合でなければならないとしてきた。その結果、集団的自衛権の行使は、上記①の要件を満たさず、日本国憲法上許されないとの解釈が30年以上にわたって堅持されてきた。
集団的自衛権の行使を容認した閣議決定は、時々の政府の判断で憲法解釈を根本的に変更するものであり、憲法を最高法規と定め(憲法第10章)、憲法に違反する法律や政府の行為を無効とし(憲法第98条)、国務大臣や国会議員に憲法尊重擁護義務を課すことにより(憲法第99条)、政府や立法府を憲法による制約の下に置こうとした立憲主義に違反し、到底許されるものではない。また、この閣議決定は解釈によって実質的に憲法改正を行うものであり、厳格な憲法改正手続を定めた第96条を潜脱するものである。このような憲法に違反する閣議決定に基づいた自衛隊法等の法改正も許されるものではない。
よって、当連合会は、日本国憲法を解釈によって実質的に改変し、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定に強く抗議し、その即時撤回を求めるものである。
以上のとおり決議する。

2014年(平成26年)7月4日
東北弁護士会連合会

 

提 案 の 理 由

 

第1 日本国憲法の基本原理としての恒久平和主義
国民主権、基本的人権の尊重、恒久平和主義等を基本原理とする日本国憲法が、戦後日本の平和と民主主義、人権と福祉のために果たした役割は極めて大きい。
憲法前文は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにする」との決意の下、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し」「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」している。また、憲法第9条は、国連憲章の国際紛争の平和解決原則をさらに発展させ、国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使を国際紛争を解決する手段としては永久に放棄し(憲法第9条第1項)、陸海空軍その他の戦力を保持せず、国の交戦権を否認する(憲法第9条第2項)という徹底した恒久平和主義に立脚している。平和なくして基本的人権が尊重・擁護されることはなく、この基本原理は、戦争が最大の人権侵害であることに照らせば、恒久平和への指針として世界に誇りうる先駆的意義を有しているものである。
そして、政府は、この徹底した恒久平和主義という日本国憲法の統治原理のもとに、政策や憲法解釈をすべき憲法上の義務を負っている。

第2 個別的自衛権行使に関する政府の見解と集団的自衛権否定の政府見解
政府は従来から、憲法第9条が戦争放棄(第1項)、戦力の不保持と交戦権の否認(第2項)を規定していることを前提として、憲法第9条の下で許容される自衛権の発動については、①我が国に対する急迫不正の侵害(武力攻撃)が存在すること、②この攻撃を排除するため、他の適当な手段がないこと、③自衛権行使の方法が、必要最小限の実力行使にとどまること、の三要件に該当する場合に限定してきた。そして、かかる解釈の下、政府は、1981年(昭和56年)5月29日の政府答弁書において、集団的自衛権について「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」と定義した上で、「我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは主権国家である以上、当然であるが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない」旨の見解を表明したのである。
そもそも、憲法第9条の文言は、日本が国際関係において実力の行使を行うことを一切禁じているようにも見える。しかしながら、個別的自衛権については、憲法前文で確認している日本国民の平和的生存権や憲法第13条が生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利を国政上尊重すべきこととしている趣旨を踏まえ、政府は、外部からの武力攻撃によって国民の生命や身体が危険にさらされるような場合にこれを排除するために必要最小限度の範囲で実力を行使することまでは禁じていないと解してきたのである。2004年(平成16年)6月18日の政府答弁書においても、憲法上外部からの武力攻撃によって国民の生命や身体が危険にさらされるような場合に必要最小限度の範囲で個別的自衛権を行使することは禁止されていないが、集団的自衛権については、国民の生命等が危険に直面している状況下で実力を行使する場合とは異なり、憲法の中に我が国として実力を行使することが許されるとする根拠を見いだし難いとして、その行使は憲法上許されないとされた。
また、同答弁書においては、同盟国を防衛しなければその直後には我が国への武力行使が確実と見込まれるような場合の集団的自衛権行使の可否についても以下のように述べられていた。
「お尋ねのような事案については、法理としては、仮に、個別具体の事実関係において、お尋ねの『同盟国の軍隊』に対する攻撃が我が国に対する組織的、計画的な武力の行使に当たると認められるならば、いわゆる自衛権発動の三要件を満たす限りにおいて、我が国として自衛権を発動し、我が国を防衛するための行為の一環として実力により当該攻撃を排除することも可能であるが、右のように認めることができない場合であれば、憲法第9条の下においては、そのような場合に我が国として実力をもって当該攻撃を排除することは許されないものと考える」。
以上の政府答弁にもあるとおり、憲法第9条の下では、「外部からの武力攻撃によって日本国民の生命や身体が危険にさらされている」という事態がなければ、憲法の中に実力行使を許容する根拠を見いだすことができないものとされ、集団的自衛権の行使は憲法上許されないものとされてきたのであり、上記の政府見解と憲法解釈は30年以上にわたって政府が一貫して維持してきた。

第3 憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認に関する政府見解
政府は、憲法解釈の変更により集団的自衛権の行使を認められるかについては、解釈に議論がある点の立法的な解決方法として、「集団的自衛権の行使を憲法上認めたいという考え方があり、それを明確にしたいということであれば、憲法改正という手段を当然とらざるを得ない」と答弁し(1983年(昭和58年)2月22日衆議院予算委員会・角田禮次郎内閣法制局長官答弁)、また集団的自衛権に関する憲法解釈の変更があり得るのかについて、「(政府の憲法解釈は)それぞれ論理的な追求の結果として示されてきたもの」であり、その上で「政府がその政策のために従来の憲法解釈を基本的に変更するということは、政府の憲法解釈の権威を著しく失墜させますし、ひいては内閣自体に対する国民の信頼を著しく損なうおそれもある、憲法を頂点とする法秩序の維持という観点から見ましても問題がある」と答弁し(1996年(平成8年)2月27日衆議院予算委員会・大森政輔内閣法制局長官答弁)、さらに「憲法は我が国の法秩序の根幹であり、特に憲法第9条については過去50年余にわたる国会での議論の積み重ねがあるので、その解釈の変更については十分に慎重でなければならない」(2001年(平成13年)5月8日政府答弁書)として、憲法解釈の見直しに慎重かつ否定的な姿勢を貫いてきたのである。
なお、近時においても、阪田雅裕元内閣法制局長官、秋山収元内閣法制局長官等により、集団的自衛権行使は徹底した恒久平和主義憲法の統治原理の下では解釈上無理であり憲法改正手続をとる外ない旨の見解が明らかにされている。

第4 集団的自衛権行使を容認する最近の動き
2012年(平成24年)12月の第46回衆議院議員総選挙(以下「衆院選」という。)で自由民主党(以下「自民党」という。)が大勝し政権与党となったことを契機として、集団的自衛権行使を容認する動きが急速に進んだ。
2012年(平成24年)7月に国家安全保障基本法案(概要)が自民党総務会で決定されたが、これは政府が憲法上許されないとしている集団的自衛権の行使を、憲法改正の手続によることなく、しかも内閣法制局の審査も受けない議員立法という手法で容認しようとするものであった。また、慣例として法制第一部長、次長経験者だけが内閣法制局長官になってきたところ、安倍内閣は憲法解釈の変更に前向きな小松一郎氏(外務省出身であり法制局勤務経験はない。本年6月23日死去。)を内閣法制局長官に就任させた。2013年(平成25年)2月8日には、内閣総理大臣の私的な諮問機関にすぎない「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(以下「安保法制懇」という。)が約5年ぶりに再開されたが、安倍首相は憲法解釈の変更による集団的自衛権行使容認といった従前の課題のほか、自民党が衆院選の公約に掲げた国家安全保障基本法(2012年(平成24年)7月6日に自民党総務会でその概要が決定)の制定など、新たな課題についても検討するよう諮問した。安保法制懇は本年5月15日提出の報告書において「『(自衛のための)措置は、必要最小限度の範囲にとどまるべき』であるというこれまでの政府の憲法解釈に立ったとしても、」「『必要最小限度』の中に集団的自衛権の行使も含まれると解すべきである」(報告書36頁)との憲法解釈案を示した。これを受けて安倍首相は同日、「我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるとき、限定的に集団的自衛権を行使することは許される」という考え方について今後さらに研究を進め、憲法解釈の変更が必要と判断されれば閣議決定を行う旨発表した。ついに本年7月1日、憲法解釈の変更により集団的自衛権の行使を容認する閣議決定(以下、「本閣議決定」という。)がなされた。

第5 集団的自衛権行使容認の問題点
政府が2013年(平成25年)12月17日に閣議決定した「国家安全保障戦略」「平成26年度以降に係る防衛計画の大綱」「中期防衛力整備計画(平成26年度~平成30年度)」においては、憲法の制約を意識した従前の「専守防衛政策」が実質的に否定され、「積極的平和主義」の名の下に、敵基地攻撃能力をも含む攻撃的性格の強い装備・部隊の保有、PKO参加五原則の見直し、武器輸出三原則の見直しなどが含まれている。武器輸出三原則は本年4月1日、防衛装備移転三原則の閣議決定によって廃止された。さらに、政府は2013年(平成25年)12月に特定秘密保護法を制定し、あわせて国家安全保障会議を設置した。このような国家安全保障戦略等は、国家間の信頼関係の形成・維持、国際紛争を未然に防ぐための外交努力や人材育成に力点を置かず、あまりに防衛力の増強に偏ったものとの批判もあり、日本国憲法の前文や第9条が目指す武力によらない平和の創造(恒久平和主義)に反するおそれがある。
これに加えて本閣議決定は、ついに集団的自衛権の行使を容認するに至り、集団的自衛権発動の要件として、我が国や「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」が発生し、国の存立や国民の権利が「根底から覆される明白な危険」がある場合、必要最小限度の武力を行使することは「自衛のための措置として憲法上許容される」とした。しかし、「密接な関係」「明白な危険」「必要最小限度」などの文言はいかようにも解釈される危険があり、海外での武力行使について憲法上の歯止めが効かなくなるおそれがある。

第6 日本国憲法の下で集団的自衛権を行使することは許されない
日本国憲法は、前文で平和的生存権を確認し、第9条で戦争放棄、戦力不保持、及び交戦権否認を定めるなど、徹底した恒久平和主義を採用している。にもかかわらず集団的自衛権行使を容認するならば、上記のとおり憲法上の歯止めが効かなくなり、他国間の紛争に日本が実力をもって介入することにもなりかねず、国際紛争を解決する手段としての武力の行使を行わないとする恒久平和主義を真っ向から否定することとなる。また、従前の政府見解によっても、国民の生命等が危険に直面している状況下で実力を行使する場合と異なり、集団的自衛権は憲法の中に実力行使を許容する根拠を見い出し難いとされ、その行使は憲法上許されないとされてきた。
加えて、仮に集団的自衛権の行使を容認するのであれば、徹底した恒久平和主義という統治原理の根本的な転換なのであるから、当然に憲法改正の手続によらなければならない。にもかかわらず、時々の政府の判断で憲法解釈を変更することは、憲法を最高法規と定め(第10章)、憲法に違反する法律や政府の行為を無効とし(第98条)、国務大臣や国会議員に憲法尊重擁護義務を課することで(第99条)政府や立法府を憲法による制約の下に置こうとした立憲主義に違反するものであり、到底許されない。本閣議決定は解釈によって実質的に憲法改正を行うものであり、厳格な憲法改正手続を定めた第96条を潜脱するものである。
また、政府は、具体的な集団的自衛権の行使を可能とするため、本閣議決定に基づき自衛隊法等の個別法の改正を進める意向を示しているが、違憲であり、それらの法改正も許されるものではない。

第7 集団的自衛権の行使を容認する閣議決定に強く抗議し、その即時撤回を求める
我が国の安全保障政策は、立憲主義を尊重し、憲法前文と第9条に基づいて定められなければならないものである。政府が解釈を変更することにより集団的自衛権の行使を容認することは、政府や立法府を憲法の統治原理による制約の下に置こうとした立憲主義に違反し、到底許されるものではない。
当連合会は、解釈の変更によって集団的自衛権行使を容認する閣議決定に強く抗議し、その即時撤回を求めるものである。
以上