2011年(平成23年)3月11日に東京電力福島第一原子力発電所事故(以下「本件原発事故」という。)が発生してから既に2年4ヶ月を迎えようとしている。

加害者である東京電力株式会社は,本件原発事故による損害賠償請求権に民法724条前段の消滅時効が適用されることを前提とした見解を表明しており,また,東日本大震災に係る原子力損害賠償紛争についての原子力損害賠償紛争審査会による和解仲介手続きの利用に係る時効の中断の特例に関する法律によれば,消滅時効の中断のためには,原子力損害賠償紛争解決センターへの和解仲介申立と打ち切り通知後1ヶ月以内の提訴が必要となる。

ところで,本件原発事故は,広範囲の地域の極めて多くの被害者に対し,長期にわたり,様々な深刻な被害を及ぼし続けている。旧警戒区域から福島県内の他地域に避難を余儀なくされた「有指示避難者」は約9万8000人,そのうち県外への避難者は約5万5600人ともいわれ,「無指示避難者」(いわゆる自主的避難者)も含めれば,避難者の数はいまだ正確に把握されていない。避難者は,生活基盤を奪われ,先の見えない生活を強いられている。放射性物質に汚染された地域にとどまって生活している人も,放射線被ばくを余儀なくされ,健康への影響に対する不安の中で,目に見えない被害を被り続けている。

さらに,本件原発事故により拡散された放射性物質の影響について予測することは不可能であり,現時点において被害の全体像を把握することは不可能である。

このように,本件原発事故は,広範囲に深刻かつ長期にわたる様々な被害をもたらしているが,その被害は潜在性を有するもので,被害者のほとんどにおいて,自己の被害を的確に把握することは不可能である。また,被害者の多くが現在の生活に精一杯で,自ら権利保全の措置を講ずることまで思い至らず,特に高齢者や障がい者は自ら声を上げることすら困難である。

これら被害者については,民法第724条前段の消滅時効を適用する条件を欠くというべきである上,本件原発事故から3年以内に時効中断の措置を求めることは不可能を強いるに等しく,本件原発事故はこれまで経験したことのない大事故であることやその被害の特殊性に照らせば,特別の立法措置が講じられてしかるべきである。

よって,当連合会は,国に対し,本件原発事故に係る損害賠償請求権について,早急に民法724条前段の消滅時効を適用しないものとする等の立法措置を講ずるよう求める。

以上のとおり決議する。

2013年(平成25年)7月5日

東北弁護士会連合会

提 案 理 由

第1 東京電力福島第一原子力発電所事故及びその被害の特殊性

1 東京電力福島第一原子力発電所事故(以下「本件原発事故」という。)は,我が国がこれまで経験したことのない未曾有の大事故であり,福島県のみならずその他の地域においても深刻な放射能汚染による被害を及ぼし続けており,福島県内外において依然として放射線量が高い地域も多い。

旧警戒区域から福島県内の他地域に避難を余儀なくされた「有指示避難者」は約9万8000人,そのうち県外への避難者は約5万5600人ともいわれ,「無指示避難者」(いわゆる自主的避難者)も含めれば,避難者の数は正確に把握することさえ困難である。そして,避難者は,生活基盤を根こそぎ奪われ,地域コミュニティから隔絶された中で,経済的にも精神的にも困難な状況におかれた状況が続いている。他方,放射性物質に汚染された地域にとどまって生活している人も,放射線被ばくを余儀なくされ,健康への影響に対する不安の中で,目に見えない被害を被り続けている。

このように,本件原発事故による被害は,生活全般にわたる深刻なもので,広範囲かつ長期間にわたり,生じている。

2 さらに,その被害は潜在性を有し,被害の範囲も,その内容も,未だ明らかになっていない。放射線被ばくの健康への影響についても専門家の中でも意見が分かれ,特に低線量を長期間に亘って被ばくすることによる健康への影響についての一致した科学的知見が確立されていないことや,放射性物質の除去(除染)技術が確立しておらず,被害地域の復旧について明確な見通しが立たない状態にあることからも,少なくとも現時点において,被害者が,自らの被害(身体・財産に対する被害,精神的被害等)の全容を客観的に把握し,その被害に見合った賠償を求めることは不可能である。

第2 特別の立法の必要性と許容性

1 加害者である東京電力株式会社(以下「東京電力」という。)は,福島県からの公開質問状に対し,本年4月22日付回答書において,「…請求書やダイレクトメール等の送付により時効が中断するという考え方は,弊社が本件事故に伴う原子力損害賠償債務の存在を認識していることが前提となるため,仮払補償金をお支払いした方々…の損害賠償債務のうち,当該請求書等に記載された範囲で適用される」として本件原発事故に係る損害賠償請求権について民法724条前段の消滅時効の規定が適用されることを前提に,ごく限定された対象者に対し,ごく限定された範囲でのみ,適用が排除される旨,表明している。本件問題については,東京電力に消滅時効の主張について柔軟な対応を求め,その取り組み内容を見て検討するなどという見解も見られるが,そもそも,加害者である東京電力に損害賠償請求権の存否の判断を委ねることは被害者の地位をあまりにも不安定にするものであり,取りうるものではない。

2 これに対し,東日本大震災に係る原子力損害賠償紛争についての原子力損害賠償紛争審査会による和解仲介手続きの利用に係る時効の中断の特例に関する法律(以下「本件特例法」という。)によれば,原子力損害賠償紛争解決センター(以下「原紛センター」という。)への和解仲介申立に時効中断効を付与し,和解が成立しなかった場合でも打ち切りの通知を受けた日から1ヶ月以内に裁判所に提訴すれば,和解仲介申立時に訴えを提起したものとみなされることになる。

しかるに,上記のように,本件原発事故による被害は,深刻かつ広範で,いまだその全体像も明らかでなく,損害を確定することは現時点では不可能である。深刻な被害を被った被害者は,生活基盤そのものを失い,今後の生活の見通しが立たない人も多い。そのような被害者に,全損害について,短期間のうちに原紛センターに和解仲介手続の申立て等の権利保全措置を講じることを求めるのは,不可能を強いるに等しい。現に,原紛センターによれば,同センターに申し立てた被害者は,上述の深刻かつ広汎な被害にもかかわらず,平成24年末時点で1万3030名に過ぎず,未だ被害者が申し立てすらできない状況にあることを示している。ましてや,打ち切り通知から1ヶ月以内に訴状を作成し,証拠を整理して提訴することも極めて困難である。

   また,権利保全のために,本件原発事故から3年が経過する直前に,多数の被害者が,短期集中的にとりあえず和解仲介手続の申立てをなすことが予想されるところ,原紛センター自体の人的物的体制が十分でない現状において,短期間に多数の申立てが集中すれば,和解仲介手続のなお一層の遅延や審理の困難など,多大な混乱をもたらす危険がある。

したがって,本件特例法だけでは,被害者救済に未だ不十分といわなければならない。

 3 そもそも,未だ今後の生活の再建の道筋さえ見通せない多くの被害者に対し,本件原発事故から3年以内に,自ら権利の保全措置を講ずるよう求めることは不可能を強いるものといわざるを得ない。特に高齢者や障がい者は自ら声を上げることすら困難であって,これをすべて救い上げるにはまだまだ時間が必要である。現在,本件原発事故に係る原子力損害賠償請求権に関連した裁判も係属しているところ,その結果を受けて初めて自ら被害者であることに気付く被害者もいるはずである。

このような被害者が権利の上に眠る者などといえないことは明らかである上,証拠収集を期待しうる状況にもないことから,証拠散逸等による立証の困難性を被害者に不利に解釈すべきでない。また,東京電力が本件原発事故による損害賠償の加害者であることは明白である一方,本件原発事故による被害の甚大性は明らかであり,短期消滅時効の適用を排除しても東京電力の地位を不安定にさせることはなく,法的安定性を害することもない。

民法724条前段の「損害及び加害者を知ったとき」の解釈に被害者の救済を委ねることはその地位をあまりに不安定にするものであり,上述のとおり,本件原発事故が,広範囲にわたり,極めて多数の被害者に対し,長期間にわたり,様々な被害を与える特殊な大事故であって,その被害者の現状を直視すれば,被害者側に民法724条前段が適用されない旨の主張立証責任を負わせることなく,これを救済する特別な立法措置を講ずることは至極当然というべきである。

本特例法案を可決する際の附帯決議として,政府及び関係者に対し,5月17日の衆議院文部科学委員会では,「東京電力福島第一原子力発電所事故の被害の特性に鑑み,東日本大震災に係る原子力損害の賠償請求権については,全ての被害者が十分な期間にわたり損害賠償請求権の行使が可能となるよう,短期消滅時効及び消滅時効・除斥期間に関して検討を加え,法的措置の検討を含む必要な措置を講ずること」が,5月28日の参議院文教科学委員会では,「東京電力福島第一原子力発電所事故の被害の特性に鑑み,東日本大震災に係る原子力損害の賠償請求権については,全ての被害者が十分な期間にわたり損害賠償請求権の行使が可能となるよう,平成25年度中に短期消滅時効及び消滅時効・除斥期間に関して,法的措置の検討を含む必要な措置を講ずること」が,それぞれ求められているところ,まさに本件立法措置が「必要な措置」であるというべきである。

4 なお,上記のような本件原発事故による被害の特殊性,チェルノブイリ原発事故による健康被害が同事故後25年を経過してもなお発生し続けていること等に鑑みれば,本件原発事故にかかる損害賠償請求権につき,民法724条後段により20年経過後に除斥期間によって確定的に消滅するとすることも,民法167条第1項により10年経過後に時効によって消滅するとすることも許されるべきことではないが,まずは,差し迫っている民法724条前段による消滅時効の適用が排除されなければならない。

第3 まとめ

 東北弁護士会連合会では,既に2013年(平成25年)2月8日付の会長声明により,実質的に消滅時効が主張されないようにする特別法の制定を求めているところであるが,上記を踏まえ,あらためて,国に対し,本件原発事故に係る損害賠償請求権につき,まずは,早急に民法724条前段の消滅時効を適用しないものとする等の立法措置を講ずるよう求め,本件決議を上程する。