
菅義偉内閣総理大臣は、2020年(令和2年)10月1日から任期が始まる日本学術会議の候補者6名について、具体的理由を何ら示さないままに任命を拒否した。
日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命として(日本学術会議法前文)、1949年(昭和24年)1月に設立された。日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とするが(同法1条2項)、政府から独立してその職務を行う(同法3条1項)。
ところで、学問の自由を定める憲法23条は、戦前の滝川事件(1933年)や天皇機関説事件(1935年)といった学問の自由が国家権力によって侵害された歴史への深い反省を踏まえて定められ、また、学問の研究が、常に従来の考え方を批判して、新しいものを生み出そうとする努力であることから、学問の分野には特に程度の高い自由が要求されるために定められたものとされている。このため、学問の自由は、国家権力から干渉されることなく学問研究・発表等を行うことを保障するとともに、大学の自治を保障している。日本学術会議の独立性も、これと同様の趣旨に出たものと解される。むしろ、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的および応用的能力を展開させることを目的とする大学(学校教育法83条1項)と比しても、わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする日本学術会議(日本学術会議法2条)については、その独立性を確保すべき要請が強いといえる。
1983年(昭和58年)、日本学術会議法が改正され、日本学術会議が会員候補者を推薦し、内閣総理大臣が任命するとされたが、日本学術会議の独立性を踏まえ、内閣総理大臣による会員の任命行為(同法7条2項)は、日本学術会議の推薦に基づいて行われる形式的なものにすぎないと解され、内閣総理大臣は推薦された候補者を拒否せず、そのまま任命することとされていた(1983年5月12日参議院文教委員会における中曽根康弘内閣総理大臣及び政府委員答弁、同年11月24日参議院文教委員会における丹羽兵助総理府総務長官答弁)。
これを前提とすると、日本学術会議の推薦を受けた候補者について内閣総理大臣が任命を拒否することは、そもそも許容されていない。
仮に、日本学術会議の推薦を受けた候補者について、内閣総理大臣が任命を拒否する余地があると考える場合でも、日本学術会議が会員候補者を推薦する場合の基準である「優れた研究又は業績がある科学者」(同法17条)に当たらないとの理由による任命拒否は想定し難い。この基準の該当性判断は高度に専門的なものであるため、内閣総理大臣が日本学術会議よりも的確な判断ができるとは考え難いからである。
また、内閣総理大臣は、会員に会員として不適当な行為があるときは、日本学術会議の申出に基づき、当該会員を退職させることができると定める同法26条が任命拒否の根拠にもなり得ると解釈したとしても、同条は、学術研究以外で候補者に不適当な行為があるかどうかの判断も、第一義的には日本学術会議が行うものとしていると考えられる。例外的に、日本学術会議が把握していない候補者の行状等について、内閣総理大臣が把握した事実を基に任命を拒否することがあり得るとしても、その場合には、内閣総理大臣は、拒否に値する事実及び理由を説明すべきである。なぜなら、このような説明の伴わない任命拒否がまかりとおるのであれば、政府が恣意的な人事権の行使によって日本学術会議を掌握しあるいは委縮させ、日本学術会議が政府の意に沿う意見や政策を述べるための機関になりかねないからである。
以上のとおり、この度の内閣総理大臣による任命拒否は、任命拒否がそもそも許されていないと考えればもちろんのこと、任命を拒否する余地があると考えたとしても、拒否に値する事実及び理由が明らかにならない以上、日本学術会議法に反し違法といわざるを得ない。
ところで、任命拒否された6名は、それぞれ、安倍晋三内閣時代の秘密保護法、安保法制、共謀罪、辺野古新基地建設、新型コロナウイルス感染症対応に対して、科学者としての研究活動等により得られた知見に基づき批判的な意見を表明していた。こうした意見表明が任命拒否の理由ではないかとの懸念も表明されているところである。仮に、この懸念が真実であるとすれば、政権に批判的な科学者の意見表明に対して不利益措置で対抗するという、思想統制的なメッセージとなることはもちろん、こうした懸念が表明されるような状況自体、政権に批判的な研究活動や意見表明を萎縮させ、ひいては、憲法23条が保障する学問の自由を侵害することにつながりかねない。
今回の任命拒否は、科学者の自由な意見表明が制約されることにつながり、結局のところ、国民の国の政策に対する判断を誤らせることにつながりかねず、基本的人権の尊重という憲法の基本原理に反することになる。
よって、当連合会は、菅内閣総理大臣に対し、今回の任命拒否について合理的な説明を求めるとともに、それができないのであれば、直ちに任命拒否を撤回することを求める。
2020年(令和2年)10月30日
東 北 弁 護 士 会 連 合 会
会 長 内 田 正 之
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